うららか本舗

自己中人間のわたしが他者貢献をがんばる様子を記録にしたもの

命名、バラの贈り人

こんにちは。



今日は、お気に入りのアカウントを勝手に紹介したいと思います。
TikTokのTony czechさんです。



こういう認識で正しいかちょっと自信がないのですが、
「突然バラをプレゼントするのが好きな人」・・・・かな。



街中にいるカップルの男性側にこっそりバラを預け、彼女に贈らせたり
親子には、子供にこっそりバラを預け、お母さんに贈らせたり
その様子TikTokにたくさん投稿されています。



1人の女性に直接贈ることもあり、その際には手紙付きです。
内容は読めませんが、最初は怪訝な顔をしていた女性は笑顔になり、
Tonyさんを呼び戻します。



Tonyさんの真意などわかりませんが、
それでもそのバラを受け取った皆が幸せな気持ちになっているのは間違いなく
とても素敵なことをなさる方だなあと思います



しかも、それを見ている私も幸せな気分にさせられてしまっています。
なんか、いいですよね。



こういうことをできてすごいなあと思います。
受け取ってもらえなかったらどうしようとか、
私は考えてしまいちょっと難しいかもしれません。



ただ、今これを書きながら思いついたのですが、
駅前とかで、私みたいな人が数人集まって大々的にバラを配れば
別に怪しまれないだろうなと



毎月1回金曜の夜、バラをたくさん用意して、
今回は東京駅、来月は新橋駅、再来月は錦糸町駅みたいに場所変えて
バラを無料で配ってみたい。



自室に飾るでもいいし、
同棲中の彼女や、ご飯作って待ってる奥さんにでもバラを贈って、
ちょっといい気分になってほしい
いつかやりたいなあ・・・誰か一緒にやりませんか笑

あいさつ一本勝負

こんにちは。



最近、
自分から先に挨拶する勝負をしています。
先に挨拶をされたら負けです。



主な戦場はマンション。
相手は同じマンション住人。
戦いの瞬間は階段や廊下、入り口ですれ違う時です。



今までマンションの人とは、
軽い会釈で済ましていたのですが



せっかく同じところに住んでいるなら、
ちょっとしたお喋りでもしたいなあって
最近思い始めて。



まあでも最近は何かと物騒ですから、
同じマンションの住民でも警戒しますよね。
最低限の付き合いを望む人のが多い気がします。



いつか何かのきっかけで話せる日がきたらいいな
なんて期待しながら・・・。
挨拶というジャブを打ち続けます。



朝は、おはようございますう
昼は、こんちはあ
夜は、こんばんはあ
こんだけです。



戦歴としては、
今のところわたしが勝っています!



挨拶をして、今のところ無視されたことはなく。
私の挨拶にお付き合いいただき、
誠にありがとうございますという感じです。



軽い会釈だけでも、ぼそっと返してくれても、
同じくらいのレベルで返してくれても、
挨拶を返してくれるって何か嬉しいですよね。
コミニュケーションがとれた感じがして。



極論かもしれませんが、
コミニュケーションをとる相手は
友達や家族以外にいてもいいと思います。
不審者だと思われない風貌で、礼儀があれば。
少しのコミニュケーションなら許されると思います。



こないだ錦糸町で服を見ていた時、
近くで同じように服を見ていた外国人のお客さんから
「これとこれどっちが似合う?」
って聞かれたんですよ。



マジで考えて「こっち!」って伝えました。
笑顔で試着に行きました。



たったそれだけのコミニュケーションでしたが、
なぜか楽しく、嬉しかった記憶です。



話しかけれもらえると、嬉しいですよね。
私だけかな。

リップサービス・・プチサプライズ

こんにちは。



この間、美容院に行きました。
いい感じにカットしてもらえて気分が上がり、
じゃあ会計しようとした時に美容師さんが



「お似合いです」
と、嬉しい言葉を贈ってくれました。



「ありがとうございます」と返しました。



このやり取りをどう感じましたか?



リップサービスに喜んでいる残念な人だと思いましたか?
この捻くれ者め!笑



せっかくかけてくれた褒め言葉です、
ありがたく貰っておけばいいとわたしは思います。



リップサービスするにしても、
全くそう思っていなかったらその言葉は出てきません。
0.1%でもそう思えたら、出てくるのだと思います。



話が少し脱線しますが、
物事は、自分がそれをどう認識するかによって
その意味をガラッと変えると言います。



リップサービスだって同じです。
褒められたと認識すれば、幸せな気持ちになれます。
お世辞を言われたを認識すれば、別になんとも感じませんし。
嘘を言われたと認識すれば、いい気分はしないでしょう。



どう受け取るかは自分次第です。
だったらわざわざ、
自分の気持ちが下がるようなもの選ぶ必要もないと思います。



わたしも、捻くれた時期がありました。
仕事について上司から褒められた時
「自分を褒めて、次はもっと難しい仕事をさせるつもりだろう」
と、相手を動かすために褒めて操作しようとしていると。



まあ事実、半分はそうなのでしょうけど。
それでも、100%の嘘ではないのだと思います。
ほんの少しでも、そう思う部分があったのだと思います。



そこを見つけて、評価しようとしてくれたこと。
ここに感謝しないといけないなと思いました。



忙しなく生きる私たちに、
他人を褒める、リップサービスをする、
そんな余裕ありますでしょうか。



最後に、人を喜ばせるような言葉を贈ったのはいつでしょうか。



リップサービス、わたしは好きです。
気軽に贈ることができるプチサプライズのように思います。
積極的に使っていきたいなと思います。

いちばん身近な人と

こんにちは。



1番身近な人から、
日頃から色々なものを貰っているなと気づいたので
それについて書こうと思います。



同棲している恋人です。



今日は、わたしの好きなキャラクターグッズを買ってきてくれました。
その前は、わたしの好きなさつまいもスイーツを買ってきてくれました。
ストックのなくなったトイレットペーパーも補充してくれました。



文字に起こしてみると、
わたしのことをとても考えてくれているんだなと
とても実感することができます。



わたしは、同じくらいのものを返せているのだろうか?
ちょっとあやしいところです。



わたしが恋人に最近返したものは、
晩御飯にリクエストされた唐揚げを作ったこと
晩御飯にリクエストされた鯖みそ用の鯖を購入したこと
一緒に食べたいと思ったシャインマスカットを購入したこと



食べ物ばっかですね
あとは洗濯や、料理、ゴミ捨て、その辺りで返せているのかな
より快適に暮らせるように。



どちらかが与えっぱなしになったり、
どれだけのものを受け取っているかに気づいていなかったりして
バランスが崩れたら、ダメなんだと思う。



貰ったものにはお礼を言って受け取って
別の形で、返すことが大事なんだと思う。
とても当たり前のことを書いているかもしれませんが。



身近な人ほど雑に扱ったり、
他人には何故か丁寧だったりしませんか



身近な人が、自分にやってくれたことについて
きちんとお礼を言わなかったり、
貰って当然だと思い込んでいたりしませんか



わたしはそうでした。恥ずかしながら。



貰うことばかり考えて、
与えたことはどれくらいあるのか。
ほとんど、ないです。貰ってばかり。



なのにわたしは今日まで生きてこれました。
周りの人たちの優しさで生き残ってきたんだと思います。



まだわたしは、与えることに慣れていないです。
気がつくと、貰うことばかりを考えています。



まずは、身近な人に返すところから始めていきたい。
今更かもしれないけど。



恋人の好きなものは知っているから、
まずはそれをリスト化してみたいと思う。



恋人にとっての大切な日なんかに、
それらが活用できたらと思う。

石川地震に対してできること

こんにちは。元旦から大地震が起きました。



この寒い中、
身も心も冷えてしまっている方がどれくらいいるんだろうと
テレビやSNSを見て思わずにはいられません。



助けたいのに、助かりたいのに、
至る所で衝突が起こっているのをみると
なんとも言えない気持ちになります。



私はボランティアをしたことがありません。
なので何をすればいいか考えたとき、「物資を届けよう」と思ったのですが
これは自衛隊や団体さんを邪魔することになってしまうと知って
考えが足りなかったなと思いました。



SNSの普及により、知らなかったことを知れる機会が増えました。
経験値の低い私にはありがたいことです。
そしてこの場でできる支援として義援金の存在を知り、
早速振り込みをしました。



芸能人やそういった方の金額と比べると誤差みたいなものですが、
私が他人に差し出した金額としては過去最高額です。勘弁してください。



同時に知ったことがもう一つあって。
義援金と、募金と、寄付金の違いについてです。



なんとなく、被災地に全額届くんだろうというイメージがありましたが、
実は異なるようです。



義援金→対象となる被災地に贈られるお金。お金は公平に分配され、被災者自身にお金が渡る。
・募金→お金を募って集めること。
・寄付金→被災地で活動する団体に贈られるお金。団体の活動支援金となる。
※大雑把な認識



・・・・3つ比べると、
スピード感も効果もあるのは義援金や寄付金なんでしょうか。
募金ですと時間や活動量の割に集められる金額に限度がある気がします。



募金活動をする人たちは、何か別の目的があるのですかね。
わたしにはわかりませんが。



兎にも角にも少しずつでも、被災された方が心休まる時が来ますように。

きっかけはシズカちゃん

「ゾン100」というアニメを知っていますか?



そのアニメに登場するシズカちゃんというキャラクターがいるのですが、
彼女のとあるセリフをきっかけにこのブログはスタートしています。



シズカちゃん「認知的焦点化理論って知ってる?運というものを、科学的に説明するための理論よ」



わたし「ほへえ??????」



大雑把にまとめると、
・今の自分から離れている事柄のことを考えて行動する人ほど、「運がいい人」になりやすい
みたいなことらしいです。



軸は2つあって、1つは「時間」、2つは「自分との関係性」です。



「時間」の場合は、今現在→ 数日後→数年後→数十年後→自分の死後
「自分との関係性」の場合は、自分自身→家族→恋人や友人→知人→他人
※実際の論文とは少し変えていますが、大まかにはこんな感じです。



この2軸を合わせると以下になります。
今の自分自身→数日後の家族→数年後の友人や恋人→数十年後の知人→自分の死後を生きる他人



こうしてみると、左から右に行くに従って、今の自分とは無関係レベルになっていきます。
しかし、より右側へ焦点を当てて生きる人ほど、運がいいらしい。



わたし「なんでえ????(心のハチワレ)」



またまたざっくりまとめると、人間の生存率に関わってきます。
集団で生きなければならない人間とって、互いの協力は必須です。
狩りや木の実探しをしていた時代から、インフラが整った現代まで、
形は変われど人間はお互いに協力して生きています。



原始時代、自分の食べ物しかとらない、分け与えない人が仲間内にいたらどうなるでしょうか。
きっと、彼が困っていても誰も助けたいと思わないでしょう。
限られた食べ物を仲間内で分け与えるとき、彼は分け与えてもらえないかもしれません。



現代は、一人ぼっちになっても死ぬことはないでしょう。
収入があり、近所にコンビニでもあれば死ぬことはない。
けどきっとそれは、生きる意味を見失うくらいに寂しい人生だと思います。



認知的焦点化理論でいう「運の良さ」とは以下の2つなのだと思います。
・生き残れること
・豊かな人生であること



人類の未来のために火星に街を作ったとしても、きっと年末ジャンボは当たりません。
でもきっと彼の心は豊かでしょう。そしてそんな彼の周りにはたくさんの人がお祝いに駆けつけるでしょう。




1人でも生きられる現代でも、協力する心は持っておきたいですね。
そして私は気づいてしまった。
私、自分のことしか考えてなかったなあと。



まず、自分は1人で生きているのではないことを自覚しなければと思いました。



もちろん自身の努力が全くの無関係だと言うつもりはありません。
けれども、今の自分は、たくさんの人のおかげで成り立っている。



死にたくなった時にかけてもらった言葉、
貸してもらったたくさんの本、
欲しい情報をわかりやすくまとめてくれた動画、
振り返るとわかる、彼のあの行動の優しさ
自己中な私とも、関わりを持ってくれる周囲の全ての人たち。



こういったものに気づいて、感謝すると同時に
わたしも同じものを返さなければならないと
強烈な焦りと共に思いました。



これからの人生で、
今まで受け取った優しさや善意を返し切れるのかどうか
わからないくらい



紹介が遅れましたが本ブログは
私がこれまで受け取ったこういったものを返すために
・受け取った記録(思い出したり、気づいたときに)
・返した記録
をしていくためのものです。



ノート等でちまちまやっていくでも良かったのですが、
それだと自分しか見ていない分、サボってしまいそうな気がしたので



ネットで公開しながら、誰かに監視されている気分になりながら
地道にやっていこうと思います。



毎日更新にはできないテーマではありますが、
たまに覗いてくれたら継続の励みになります。



よろしくお願いします。